住職のやおじ雑感
太鼓の桴(ばち)
 桴は、太鼓を打つ時の道具です。私の寺では、毎朝の勤行に太鼓を叩きながら読経しています。その音は、風向きにもよりますが、三百メートル近く離れている信者さんの家にも聞こえてくると、言われたことがあります。
 昭和62年4月に、今使っている二尺の胴長太鼓を購入しました。 桴の長さは、一尺五寸。毎朝打っていると、どうしても桴の先のほうが減ってきます。減らないように、桴の先に皮を付けている寺があるぐらいです。
 今使っているものは、二本目になりますが、片方の減りがひどくなってきました。左の桴で、お経の区切りの時に金を叩くために傷がつきやすく、そのうちに木屑となって落ちてきています。取り替えたいと思いつつ、先代から使ったものという愛着があり、なかなか変えられずにいます。でも、木屑がひどくなりどうにかしたいと考えた末に、木工用ボンドを傷ついた部分に塗ってみました。逆剝けが目立たないぐらい厚めにボンドを塗り、半日乾かしてから使っています。塗ったところがテカっています。一週間たちましたが、木屑はおちてきません。
                          (平成24年11月8日)

原発「再稼働反対」のデモ
 関西電力大飯原発が再稼働された。この再稼働に反対するデモが、市民団体の有志のツイッターなどの呼びかけで、三月から毎週金曜日、首相官邸を取り囲むかたちで行われている。最初デモの参加者は300人ぐらいだったのが、七月六日の参加者は雨中にもかかわらず、主催者発表で15万人、警視庁調べで約2万1千人と報道された。
 いつも思うのだが、こうした抗議行動の主催者と警視庁の参加人数が、大幅に違うのは何故だろうかということだ。その差約13万人である。その数の隔たりは大きすぎる。どちらも一人ずつ数えての発表ではないはずだから、どちらを信用したらいいか。そこには、なんらかの意図が働いているのだろう。
 それはともかく、この抗議運動は、東京から他地区に広がりをみせている。大阪では関西電力を取り囲むかたちで、そして北海道では道庁を取り囲んで、金曜の午後6時から行われると聞いた。
 放射能が人類に及ぼす被害は、日本人が一番知っているはずである。私達は、自然の中で、自然と共に生きている。その自然界に決して溶け込めない放射能物質を、自分たちが快適に過ごせるためだからと言って、利用し続けていいのだろうか。自然あっての私達の生活である。真言宗の宗祖弘法大師さまは、好んで自然の中で修業された。私達は、生きていく足場を破壊してはいけないと思う。
                          (平成24年7月13日)

メタボなお腹
 仕事中は和服を着ていますが、それ以外で外出する時は、洋服を着ている。この間、外出先で二人の方に、「お腹出ているね。」と言われた。「着物を着るときは、この方が収まりがいいんですよ。」と、苦しい言い訳をしてしまう。確かに、以前より空腹時でもお腹が出ているのが解かる。お腹の脂肪を燃焼させる簡単な方法を、檀家さんに教えて頂いたが、一週間ぐらいで止めてしまっていた。
 携帯に「大人力検定」というサイトがある。石原壮一郎さんという方が監修をされているもので、大人としてどのような態度・行動をしたら良いか三択の中から選ぶ検定である。
 最近の問題は、「ビアガーデンで若手がビールを拒否」してサワーを注文した時どうするか、という出題であった。私の回答は、ビール一杯ぐらい付き合ったらとやさしく勧める内容だったが、そうすると「相手に事の重大さが十分に伝わらず、つけ上がって意地になるかもしれない。」と説明されていた。正解は、「ビール飲まない人は、お会計が二倍らしわよとウソで脅かす」である。
 このサイトでたくさんの問題をやっているが、私の回答の多くが、今一歩何か足りないようである。肝心なことの認識が足りないのかもしれない。自分の腹を見ながら、しみじみと考えてしまう。
                            (平成24年7月7日)

シャクナゲの花が咲いた
(題名をクリックでシャクナゲの画像が見れます)
 裏玄関のそばにあるシャクナゲの花が咲きました。冬の寒さの為なのか、多くの葉の縁が茶色になり、花を咲かせるどころか枯れてしまうかと思っていました。
 このシャクナゲにはちょっとしたエピソードがあります。もう30年以上前(私が寺に戻っていない時)、母がシャクナゲの苗木を、二本買ってきて植えました。数年経っても花を咲かせることがなかったので、母はこのシャクナゲ二本とも、崖に捨ててしまったとのことです。ところが翌年、崖にシャクナゲの花が咲いているのをみつけました。降りて見てみると、一本の苗木は横に倒れて枯れていましたが、もう一本の苗木が見事な花を咲かせていました。母は、苗木たちに謝って、花を咲かせたシャクナゲを今の場所に植え替えたとのことです。
 過酷な運命にさらされたこのシャクナゲは、それからも大した世話をされることはないけれど、今年も見事に花を咲かせました。
                            (平成24年6月15日)

「慢」という煩悩について
 先日、拝聴した上田紀行先生の講演で特に心を揺さぶられた話は、 「お坊さんは、座布団を出されるのを待っている。」と言う言葉でした。出されるのがあたりまえ、出されなければ文句を言う。そこには、「自分は、他より偉い立場である」という傲慢な意識が働いているのです。
 私は、教育系の大学を卒業しました。その時、一緒に教育実習をした先輩から「おまえは、自慢話が多すぎる。」と言われて嫌われました。自分では、そういう言動をしたつもりはなかったけれど、相手からみればそう感じる言動があったのでしょう。それ以来、自慢につながる言動を避けるようにしています。
 仏教で煩悩といえば、貪瞋痴(とんじんち)の三毒ですが、それに続く煩悩は「疑と慢」だと言われています。
 上田先生の講演を聴きながら、私の言動に「慢」があることに、改めて気が付きました。十年間の教員生活と三十年近くの僧侶としての生活の中で、無意識に身についた「慢」の煩悩を、きれいに洗い流していきたいと思いました。人の気持ちに寄り添える宗教者としての言動に心掛けたい。
                             (平成24年6月1日)

金環日食は見られなかったけれど
  還暦を過ぎた齢になったせいもあるけれど、体が疲れた日は、就 寝時刻がはやくなる。夜の8時頃には、床に入り寝入ってしまう。そして4時間前後で目が覚めてしまい、トイレに行くのだ。
 私の寝室は二階にあり、トイレに行く前にいつも窓から夜景を見 る。この日の夜空は、星がたくさん見えた。けれどよく思い出せば もっとたくさんの星を、星降るぐらいの星をここから見たこともあ った。
 5月21日は、日本中、金環日食で湧いた。北海道は残念ながら部分日食だったし、曇っていたので、空を見上げることはしなかった。金環日食は、何十年何百年に一度の天体ショーではあるけれど、 私にとって心躍る天体ショーは、以前見た「星降る夜空」である。身近な生活の中に、よくよく観察すれば、心を満たしてくれることはあるものだ。
 今回私は、「真言宗北海道教師会」が主催した、上田紀行先生の 「がんばれ仏教」の講演を聴く機会を得た。講演を聴き終え、自分自身の宗教活動を見直し・学習し・考え直さなければと痛感した。 何か一歩踏み出す行動をしたいと考えている。
                            (平成24年5月26日)

光フレッツにしたいけれど
 パソコンが苦手な私でも、やはりその便利さの恩恵に浴する機会が欲しいので、最低レベルの操作が出来るようになりました。インターネットで物事を調べたり、簡単な事務的書類を製作したり、やはり、ワープロよりパソコンだなあと思うことが多々あります。
 操作がわからない時に相談に乗ってくれる友人がいます。今、彼のパソコンは光フレッツで接続できるようになり、操作が速くなるんだと教えてくれました。同じ地域に住んでいるので、早速知り合いの家電従業員さんを通じて、パソコンを入れた時に手続きをしてくれたNTT関係の方へ連絡してもらい「ADSL」から「光フレッツ」へ変更する旨を依頼しました。結果は「NO」でした。
 この地域に光フレッツのケーブルは設置されたけれど、残念ながら、我が寺には通っていないとの事でした。やはり山の上は後まわしなのかと諦めることにしました。いや、もしかしたら永遠に来ないかもしれないぞ。たった一軒の為に工事をしてくれるだろうか。
 こんな思いを忘れかけたある日、NTT東日本を名乗る方が、来寺されました。パソコンをお使いでしたら、光フレッツにしませんかとの事です。私は先般の経緯を説明して、光フレッツにしたいけれど出来ない旨を説明しました。そして、NTTと言うけれど、何社もあるのかと聞いてみました。関連会社が色々あると教えてくれて、名刺をくれました。そこには「NTT東日本ー北海道」の会社名が書いてありました。会社に戻ってもう一度調べてみますと言って帰られました。そしてやはり無理とのことでした。
 それから二週間もたたないうちに「NTT×××」の方から電話がありました。やはり 、「光フレッツ」のことでした。ここには繋がらない事を説明すると、いやそんなことはない。そちらの工事が完了しているからと言うのです。では調べてみて下さい。私の住んでいる所がどんな地形か見たのですかと言うと、調べてから又電話しますと言っていましたが、その後何の連絡もありません。
 NTT関連の会社が何と多いことか。学生の頃、三公社五現業の名前を覚えていた頃が懐かしいです。
                             (平成23年1月21日)

孫の笑顔
 娘が子どもを授かってから1年を迎えようとしています。運良く、車で1時間もかからない所に嫁いでくれたので、月に何度かは孫に会う機会に恵まれ、その成長を目の当たり知ることができる幸せを感じています。
 寝ているだけの生活から寝返りをしだし、今ではハイハイが出来るようになり、目が離せなくなるぐらい成長しています。また、母乳だけの食事から離乳食中心になり、自分でフォークを持って食べられる様になっています。その成長の様子を、娘が携帯電話を使って動画を撮り、Eメールで送ってきてくれるので、楽しみが倍増しているわけです。
 孫は、人見知りすることが少ないみたいで、誰に抱っこされていても、ニコニコ笑うことが多いそうです。それにつられて、抱いた人達の顔にも笑顔が零(こぼ)れてきます。
 そんな孫の笑顔を見ながら、人間は「笑う」という感情をどのように獲得したのだろうかと不思議に思えてきました。特段、教えたわけではないのに、笑顔になっている孫の顔。人間しかない感情と言われる「笑い」
 「笑う」という表情が、本能として人間に備わっているとしたら、これこそ大切にしなければならない感情だと思うわけです。
 笑顔が溢れる家庭や社会。そんな事を考えながら、毎晩、寝る前に孫の動画を見ながら眠ることが続いています。
                               (平成22年4月10日)

爽やかな感動に感謝
 毎日のように、ニュースのトップを飾っていたバンクーバーオリンピックが終わり、何となく、世間の荒んだニュースを見ていると、スポーツの爽やかさが懐かしく思えます。世界中に、たくさんの感動と興奮をもたらしてくれたオリンピック。その中で、私の心を惹き付けたシーンは、スピードスケート女子3000m団体追い抜き(パシュート)で、日本が銀メダルを獲得したことでした。特に、次の日のニュースで知った3人の中の一人、小平奈緒選手のインタビューでの言葉が印象的でした。
「負けを知った時は、とても悔しい気持ちでしたが、後でレースを振り返ると、自分達は、全力を尽くしたことに気付き、とても満足しています」
という内容でした。
 優勝候補と言われても、なかなか金メダルが取りづらいオリンピックで、自分の力を十分に発揮できることは、なんて素晴らしいことだと感心したのです。
 私共真言宗の宗祖弘法大師様は、次のようなことを言われています。
「教えそのものに違いがあるわけではない。ちょうど牛と蛇が水を飲むようなものである。同じ水を飲んでも、牛は人畜を養う甘美な乳となって出てくるし、毒蛇は人畜を殺傷する毒液となって出てくるものである。それは、水の罪ではなく、飲んだ者の身体の構造によって、一方は乳となり、一方では毒液となってしまうのである」(意訳)と。
宗祖のこの言葉を、私は常々自らの戒めとして思い出しています。

『勝って驕らず、負けて悔やまず』

ノルディックスキー距離女子30kmクラシカルで、石田正子選手が5位入賞と健闘しました。彼女がゴールした時、ガッツポーズした姿も、爽やかな感動を与えてくれました。
                                (平成22年3月8日)

自然の中で生活をしていて
 私共の寺は、樹木に囲まれています。ですから、鳥や鹿・狐などの動物が結構訪れてくれます。一度など整備されていない駐車場の横の崖の上に、男鹿1頭・女鹿4頭を見た時は、ちょっとした恐怖感を抱いたものです。
 野良猫も時々来ているようです。その為か天井裏を走り回っていたネズミが少なくなって、いずれいなくなった様です。でもそれは多分、猫だけのせいではないと、最近気が付きました。
 今年9月に、30年ぶりに、風呂を新しいバスユニットに変えました。古いバスユニットを剥がしていると、そこからなんと、蛇(1mくらいの青大将と思われます)が落ちてきたのです。蛇が寺の周りを徘徊しているのは毎年何度か見ています。今年の6月には、丁度風呂場の屋根に、蛇がいたのを見て驚きました。きっとその蛇です。蛇は室内寄りの壁にいたそうです。暖かかったのでしょうね。
 寺の周りの樹木は、防風林になってくれています。その代わり、晩秋には枯葉がすごいです。それを集めるのは気が遠くなる程なので、風があちこちに纏めてくれたのを拾うことにしています。勿論、完璧に拾いきることはできませんが。
 風の強い日は、小枝があちこちに折れています。残念ながら、私には樹木の知識がありません。ですから、何という名の木かも知れませんが、よく直径20cmぐらいもある木が折れています。母は「ニセアカシア」と呼んでいます。この木は、枝に棘が多く、成長の早い木です。今年も2本程折れていました。成長が早すぎると。十分な強度をつけた幹にならないのかと思いながら、久しぶりに枯葉の中を、愛犬ゲン太と散歩をしました。
                              (平成21年11月22日)

四国八十八ヶ所巡拝
 何年ぶりの大雪にみまわれた北海道の大地に、自然が芽ぶく季節がやってまいりました。朝起きて起きて、降り注ぐ太陽の陽ざしを浴びると不思議と今日も頑張ろうという気持ちがおきるものです。
 3月・4月は四国八十八ヶ所を巡拝するのに良い時期だと言われています。言うまでもなく八十八ヶ所の札所はお大師様とご縁のあるお寺であり、平安時代の末頃からお大師様を慕い、巡拝が行われていたと推察されています。
 私は、今年8年ぶりに四国巡拝のご縁を頂くことが出来ました。難所といわれる札所も以前に比べると、だいぶ少なくなりましたが、それでも普段、車社会に生きている者にとって、階段の昇り降りはきついものあります。
 道路の整備が進み、高速道路は巡拝時間を短縮させているようでした。そこで見た風景は、昨年の秋に四国を襲った台風の爪跡です。樹木がなぎ倒され、土砂が谷間を勢いよく流れたまま残されていました。山奥にある札所に通じる道路は崩れ、片側通行になっているところもありました。
 人間は、自分達の便利なようにどんどん自然を作り変えています。しかし、自然の猛威にさらされた時、人間の行為の愚かさを感じることがあるのではないでしょうか。自然の中で生かされていることを忘れてしまっているのです。日本人は、昔から「手入れ」をしながら上手に自然と付き合ってきました。そして、多くの文化を創り上げて来ました。お大師様も好んで自然の中に入り、厳しい修行を続けながら悟りをひらかれました。
 自然とむき合う時、人間は「辛抱すること」「努力すること」を強いられるものです。お大師様の足跡をたどりながら、全てを自分の思い通りにしようとする人間の行動を、もう一度見直す必要性を感じた巡拝でした。