現在の香川県
  金刀比羅宮本殿
金毘羅絵図(江戸時代)
 こんぴらさんと云えば、四国讃岐の国、金刀比羅宮(琴平)を思い浮かべる方が、殆どであろう。金毘羅(金刀比羅宮の前身)そのものの開山は、およそ七百年程前、四国善通寺(四国八十八カ所、第七十五番札所)の当時の住職宥範上人で、自身の隠居所として建立(こんりゅう)したと伝えられている。開創当時の寺名を松尾寺金光院と云い、其の守護神として、金毘羅大権現を祀ったのが始まりである。
 現在、四国讃岐の国、金刀比羅宮(琴平)の本地は大物主神(おおものぬしのみこと)と崇徳天皇(すうとくてんのう)である。こんぴらさんと呼ばれているが、本尊は金毘羅大権現ではないのである。
 明治時代になると、政府は「神」と「仏」を分離させる、「神仏分離令」を発しました。これにより元々お寺であった松尾寺が、金毘羅大権現と云う神を祀っていた為、金刀比羅宮(ことひらぐう)という神社に変更を余儀なくされました。俗に言う「廃仏毀釈」と云うものです。
 廃仏毀釈の厄難に遭った金毘羅さんは、焼却処分の憂き目に遭いながら近くの普門院(現在の松尾寺?)に難を逃れた。当時の住職永原 宥尭上人の夢枕に「我六万八千の夜叉眷属を領して、北地に降臨影向すべし」との御告げにより当時、宥尭上人の弟子であった宥猛上人(當山の開創者)と、一大決心をして、本尊こんぴらさんを本道に移遷しました。(現在の道南 洞爺湖畔)当時、風光明媚の洞爺湖畔を奉遷の地と定めました。


こんぴらさんの愛称で知られる御本尊の正式な名称は、金毘羅大権現(こんぴらだいごんげん)と言います。
 インド・中国・日本の仏教伝来三国衣裳・装身具を身につけ、眷属に大小の天狗尊を従えています。 右手に握る剣は知恵を表し、一切の煩悩・執着・迷いを断する誓願を示し、左手に持つ宝珠は正しい信仰者の苦しみを除き、あらゆる祈願の成就を表しています。 又、薬師如来の眷属である十二神将の一つで、宮毘羅神将と呼ばれ、又、般若十六善神では却毘羅夜叉とも呼ばれ、この事からお寺で薬師如来・般若十六善神の二つの真言を唱えるのは此の故です。
 又、お釈迦様を提婆達多の悪行から救われた事で、釈迦如来を本尊とする禅寺系の寺院でも金毘羅さんをお祀りしているところが多く見られます。この事は「大聖金毘羅加持讃偈之文」に説かれています。(文末に記載)
お唱えする時は、
 南無金毘羅大権現(なむこんぴらだいごんげん)と唱えます